2008年02月08日

Short trip to India

年始からビクラムヨガにはまっていて、すでに今週は3回も通っている。以前スポーツクラブでパワーヨガに挑戦したときは、全然効いている気がしなかった。でも、スタジオでやるヨガは私にとって別物のようで、精神的にも肉体的にも日々変化を感じている。

ビクラムヨガはすごく単純で、ハタヨガ由来の26のポーズをいつも同じメニュー、同じ順番で繰り返すだけだ。ポイントは室温40度、湿度55%の環境を作ることで(所謂ホットヨガ)、これは痩せ効果を目指すとかではなく、単純にヨガ発祥の地であるインドと同じ環境を目指したものだそう。

考えてみれば、スポーツと環境は密接に結びついているもので、極寒の東京でヨガをやるのは、真冬にサーフィンをやるのと同じく、かなり無理矢理で、危険な行為なのかもしれない。

ベストな環境でポーズの正確さを追求してみると、ヨガというのは結構スリリングで、「あ、このポーズはうっかりすると首の骨を折るかもしれないな」と思ったりする。

そんなギリギリ感とインドへ気候へのトリップ感をスパイスとして、大嫌いなこのシーズンを生き抜いているのだ。

2007年09月03日

スモールぶらり旅

5年間住んだアパートから引越しした。

新居に移ってからは渋谷までバスで通っている。
中学と高校、バスで通っていて良い思い出なんてなかったけれど、今乗ってみると、思いのほか好印象なのだ。バスの中の人たちって通勤中であっても、微妙にOFFな表情をしていて、ちょっとかわいい。

「渋82」「森91」「反11」…暗号のような系統を、解読できたような誤読しているような曖昧な気分で、気が済むまで揺られていたい。でも、最終的には知ってる誰かの元に辿り着いて、気まぐれに優しくしてもらいたい。

そんな埒もない妄想、行動力さえあれば意外に叶えられてしまうのかも。
なんて気になったのは、この夏空のせいかもしれない。 あるいは、世田谷の交通事情のせいか。

週末は目黒に住む友人の家の近くでランチをして、帰り道、バスを適当に乗りついで帰った。
「バス乗り継ぎ」というクレイジーな所業をクリアすれば、 世田谷~渋谷間のどこにでも、案外簡単に行けてしまうのだ。
雑誌で見た、ちょっと行きにくいあの店にも、駅から遠い友人の家にも。

車もっている人にはこの感動、伝わらないかもしれないけど…このスケール小さなぶらり旅、私は癖になりそう。

2007年05月20日

家の間に見える夕日から考えたこと

RIMG0213.jpg

「見てみて!」“あっち”を指す同居人の指の方向に目を向けると、玄関にある引き戸のガラスの上の方が、うっすらと紅い色に染まっていた。ドアを引くと、隣家の家と家との間の空が、とても美しい色をしていた。ピンクからオレンジになって、闇へと姿を変えていく、夕闇の色。私は昨日まで同居人を連れて帰っていた、実家のある町の、夕暮れの景色を思い出した。

同居人と実家に帰るのは初めてだった。自分が生まれ育った町を、できるだけ多く見せたくて、ぐるぐる、たくさん歩きまわった。うちの車が故障しているので、せっせと、全部歩いてだ。近いと思っていた距離が思いのほか遠かったり、「あ、あそこも教えたい」と遠回りをしたり。一つひとつの場所が、自然と少し希薄になった。そして、案内したくても、もう既にそこにはないものも、たくさんあった。気に入っていた、教会の鐘の音を、聞かせてあげられなかった。自慢の弘前公園の桜の花は、まだ開花していなかった。気持ちの良い川べりの道を、自転車で駆け下りることもできなかった。大学の見事な南天の木は切り倒され、そして酒造会社の煉瓦造の塀沿いに見る、夕暮れの美しい空の色や、私の部屋から見る夕日の感傷的な光景も見せることができなかった。

ある場所にいて、その土地の色々な良さを味わうには、数日なんかじゃとても無理だ。字面にすると当たり前すぎることだけど、そのことを強く噛み締めた。私があの町で感じたことを同居人に伝えるには、同居人とともに、私が過ごしたのと同じくらいの時間をあの町で過ごさなければならないのかもしれない。

そのことは今、私が同居人とつくり上げている記憶にも言えて。私と同居人が毎朝散歩をしているお寺の、日々移り変わっていく緑の濃さのわずかな違いを確認したり、鳥のさえずりを聞きながら乏しい知識で名前を当てっこしたり、いつも道すがら会う犬がこちらを向いて吠え立てる(もちろん喜んでいる、のだと思っている)のに歓喜したり。そういうことを、実家にいる母と味わうことは、やっぱり難しいのである。

記憶を持ちうる「私」はただ一人しかいない。私が誰かと記憶を共有するには、私が共にいる人とでなければならない。私と同じ場所にいる人でなければならない。その場所は、ひとつしか持つことはできない。たぶん、基本的には。

もう少し、伝えたい。私が伝えたい景色や、そこで感じることも伝えられればよいのに。もどかしく、くやしく、やりきれない気持ち。そんな気持ちにもなりきれないくらいの感覚が一瞬のうちに私をめぐった。それは、同居人に対しても、そして母に対してもベクトルが向いていた。

「きれいだねえ」
「ねえ」

空の色はきれいなのである。私の語彙ではそれしか出ない。実際に口から出て音になる、言葉とはちょっと違う。

引き戸を閉めて、手を止めていた夕食の準備を再開する。同居人は流しに向かって野菜を刻む。私はテーブルの上を片付ける。ぼんやり、茶碗を並べながら考えたこと、それがこんなことだ。

齋藤 里紗

2007年03月19日

偏見の二択

アンナ・カレーニナの中巻を読み終わったと
思ったら下巻の終わりだった。

もう一冊続きがある前提で読んでいたので
なんだかちんぷんかんぷんで終わってしまった。

友人から「長い間わずらった持病が治るかもしれない」と
メールが来て、苦しくない自殺の方法でも見つけたかと思い、

「おいおい、携帯メールの遺書なんか要らないよ」

と真剣にうんざりしてみる。そうでなければ絶対に
新興宗教への誘いかどちらかだと決め付けていたら
どちらでもなかった。

前者については、読み終わったばかりのトルストイが
少なからず安直なわたしの頭にこびりついていたに違いない。

自殺以外の問題解決法はたいがい宗教だ。

ヨガと呼ばれる壮大なる宗教も
コーチングに基づく自己暗示という
マインド・コントロールもお試し済みですが、何か?

家に帰って本当にアンナ・カレーニナを3冊も読んだのか
確認したら、ちゃんと上・中・下巻揃っていた。
ついでになくなったと思っていたコーチングの本も
見つかった。

何の暗示だ、一体。

二者択一を迫られている気分の20代、
「若気の至り」で済まされるリミットは1年と2ヶ月。
妙齢オンナの雨の夜。

(山名美穂)

2007年03月08日

モス・バーガーにて

早い春の強い風に吹かれることをいいことに
空腹を原動力に、髪もとかさず外へ出る午後4時。

モス・バーガーの外に立てかけられたメニューを
強風の中、しゃがみこんで眺めているうちに
頭はまんまと天然エアリー・ヘア。

モス・チーズバーガーというのを食べ終わり、
メモ帳の隅にこそこそと駄文をしたためているうちに、
天気は気象庁の予報どおりに下り坂。
バラバラと雨が降り出し、厚かった曇り空がより一層
濃いグレーで覆われていく。
当たる天気予報もあるものなのかと感心することしきり。
メモ帳の駄文は何ひとつわたしの人生を予言しない。

平日の夕方をこんなふうに過ごす優越感は
夜の訪れと共に罪悪感にも似た色で染まっていく。

冷えたホット・ウーロン茶を飲み干しても
求める答えがマグカップの底にあるわけでもなく。
捨てきれない何かが心の中に、また染み付いて
行くのを、茶渋を眺めながら感じたり。

ひとり気ままに自由なはずなのに、気がつくといつも
何かを待っているような心もとなさは、今日も
どこかからやってきて、ウーロン茶がカップに作った
輪染みのように、わたしに染み付いていく。

ほんの少し いつもより風の強い
冬と春のはざ間の一日が
夕方と夜の一分が
わたしをこんなにも取り残された気分にするのは
何故だろう。

振り向けば他に客人もおらず
取り残されたのは気分じゃなくて事実だと知るのは
すぐ後のこと。

(山名美穂)

2006年12月30日

味噌煮込みうどんで「ほっ」とする。

061230.jpg生まれた場所のせいか、味噌煮込みうどんは大好物だ。この年末の帰省でも東海道新幹線を名古屋で降りるとさっそく地下街「エスカ」に向かった。そこにぼくのお気に入りのお店「山本屋本店」がある。この街にはもう一つ「山本屋総本家」という名前の味噌煮込みのお店があるので初めての人は間違うかもしれない。誰の回し者でもないが、ぼくなら山本屋本店をおすすめする。時間があれば、エスカ地下街のお店ではなく、栄白川まで足を伸ばすのもいいと思う。ただ、帰省=味噌煮込みの頭で帰途につくぼくは、駅を出たらまっすぐ地下街へ向かうことになる。
お店の前はいつ行っても長蛇の列だが、帰省ラッシュの時期となれば尚更である。ぼくもそこに並ぶものの先は長い。食い気をそらすのに、帰省の列車で読んできた本を再び出したり、ケータイを開けたり閉めたりとまったく落ち着かない。席について、ようやくほっとした気分になる。店の前にこれほどの列ができるのだから、止むに止まれぬ味噌煮込みへの情熱、いや執念を持つ人が大勢いるということだろう...などと想像するが、それは席についてからのこと。
前置きがずいぶん長くなったけれど、そろそろ食べ物の話もしたい。まず、最初に出てくるお漬け物がおいしい。白菜のロールと胡瓜と大根。季節によって組み合わせが若干変わると記憶している。おかわり自由とくれば、しなくては気が済まない。薄味のお漬け物を薄口醤油とおろし生姜でいただく。それをつまみながらしばらく待つと、メインの味噌煮込みがやってくる。ぐらぐら煮立つ鍋のふたを取り、それを取り分け皿とするのがこのお店の作法である。具材は鶏肉か豚肉か、季節によって牡蠣などの特別メニューもある。名古屋といえばコーチンと思うかもしれないが、ぼくのおすすめは断然黒豚である。鍋の真ん中には新鮮な生卵が落としてあり、これが余熱で半熟になる。ところで、味噌煮込みはご飯との相性も抜群である。うどんを食べたあとは、だし汁と一緒にご飯がさらに進む。結局、この日もおかわり三杯と相成った。
こうした経緯はなんとなく人に話すのも憚られる気がして、実家に帰っても内緒にしておくのだが、味噌のにおいは以外と染みつくのでたちまちバレてしまう。もちろん、バレるのは味噌のにおいのせいではなく、ぼくの行動パターンが読まれているからだとは思うが。とにかくぼくは名古屋駅につくと、まずこうして帰省の喜びを味わう。(ト)
※ごちそうさまでした。写真は、そのうちもっとおいしいものに差し替えます。

2006年12月10日

一本脇に入ると、、、の法則

061210.jpgぼくはこの法則をかなり本気で信じてるんだけど、通りから一本脇に入るといい店があったりすることって多い。それがぼくの勝手な思い込みだというなら、一本脇に入ったところにある店できちんと商売が成り立つってことは、その店がいい店って証拠になる、と言い直してもいい。それだけ支持されてるんじゃないかな、と。そんなわけで、今日もそんな心もとない法則に従ってぶらぶらとランチする場所を探していた。このあたりかな、と予想をつけると住宅街に一軒の飲食店が!まるでぼくはトリュフを探し出すブタではないか!建物の雰囲気もよさそうなので、さっそく入ってみることにした。店員さんにおすすめを聞いて、ココナッツカレーと豚肉・タマネギ炒めのぶっかけ丼をオーダー。もちろん、おいしくいただいてきました。
場所は南青山のある通りを一つ、二つ脇に入ったところです。それじゃ、わからないか。。(ト)