2008年09月15日

『ヒトの変異』 A・M・ルロワ

「遺伝」に関して、奇形という切り口から解き明かす試み。著者は生物学者で、キワモノ趣味とは無縁の真摯なアプローチ。

この本によると受精したばかりの胚は健康に害をもたらす変異を平均300は持っているのだそう。マイナスの因子を持ってない人間などいないのだ。そういった不完全な人間同士の遺伝子が、受精によってかけ合わさった結果、奇形という重篤な変異が出現するかどうかは、ほとんど賭けだ。

子どもを持たない私は、「ずいぶん危険なゲームに打って出るなー」なんて思いつつ、どこかでそんな恋人たちの勢いが羨ましくもある。博打とも思えるような欲望の産物こそが、種を存続させ、進化を促すエネルギーなのだから。

「私たちはみなミュータントなのだ。ただその程度が、人によって違うだけなのだ」と、筆者。

私はなぜ私なのか?…という問いを、生物学的立場から俯瞰すれば、螺旋状の長大な流れが見えるというわけだ。その流れは、全ての可能性を飲み込んでなお、きらきらと美しい。奇形に関する重い歴史や、難解な生物学的考察を読み進めるのは辛かったが、最終的にはそんな気分になっていた。
蜂(http://hachi0519.cocolog-nifty.com/blog/)

『排気口』イデビアン・クルー

Haikikou

http://www.idevian.com/ja/info/haikiko.htm

イデビアン・クルーとは、椎名林檎の「OSCA」のPVで赤いワンピースで踊っている人々というと、通りがいいだろうか。そのPVでもフロントで踊っている斎藤美音子さんのソロ舞台を先に見ていたこともあって、本家イデビアン・クルーの舞台を観るのは、満を持しての感。

もー、井出さんすごいです!

今回の舞台は温泉旅館。倦怠期のカップルがそこを訪れる。温泉旅館の従業員のドタバタ&愛憎。そこに都会のカップルが絡んで…。という、いわゆる昼下がりの主婦向けドラマのテーマを、こんなにも笑える、完成度の高いダンスにしてしまうなんて。

世田谷パブリックシアターの広い舞台全体を使って、クルーが繰り広げる群像劇。舞台のあちらこちらでバラバラに展開されているダンスが、気がつくと大きなうねりになっている。その連動性の面白さ。そして、全体を通して観ると明確な物語が浮かんでくる。どこからどうみてもダンス(セリフもほとんどない)なのに、ひどく演劇的なのだった。

職場という共同体のなかの出来事って、1対1で起こっているわけじゃない。それぞれの人々の、バラバラの思惑が絡まりあって全体を押し動かして行くもの。そのうざったさとおかしさが、みごとにダンサーの動きとして消化されていた。しかも愛がある、笑える、そしてかっこいいのだ。

蜂(http://hachi0519.cocolog-nifty.com/blog/)

2008年06月30日

メメント・モリ

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わたしたちに許された特別な時間の終わり
岡田利規
「イラク空爆のさなか、渋谷のラブホで4泊5日」。大江健三郎賞の受賞作であることを示す黄緑色のオビに、書いてある。

初対面の、わりにどうでもよさげな相手とのラブホ暮らしが異国の旅みたいになるとしたら、そこには死の影が、スパイスのようにふりかけられているはずだ。
旅をしている時は、路地の薄汚れたポスターが、妙に愛おしく感じられたりする。それは、二度とそこに来て同じポスターを見ることがないことを、知っているからだ。
彼らが悪趣味な渋谷のラブホを特別な場所のように思うのは、彼らの関係が「いつまでも系」に属してないことにプラスして、我々の住むこの世界もまた、「いつまでも系」に属してないことに気づいてしまったからだ。

自分を振り返って、2003年は既に仕事をしてはいたけど、まだまだモラトリアム気分でフラフラしていた。この小説に描かれる、ゴムみたいに引き伸ばされた若者時間が、当時の出来事にシンクロする感覚は、同時代人として充分に刺さる。

テロや戦争が、アメリカというハリウッド映画的イメージを揺るがした最初は、7年前の9・11。そのころモラトリアム時代を過ごしていた人間の多くが、今では社会人になっている。
そんな「私たち」はまず、この本の黄緑色のオビを見、「イラク空爆のさなか、渋谷のラブホで4泊5日? もう、そんなユルイ時間の使い方、絶対無理」と思って、クラッとする。しかし、そんな「私たち」の時間だって、当然だが「いつまでも系」ではあり得ない。

「私たちに許された特別な時間の終わり」。次のそれは、どんなふうに訪れるのだろう?(蜂)

2008年04月14日

デジタルで汚す

いつのまにか4月になってしまった。先々月はプレゼントで写真集をもらい、ちょうどそれが木村伊兵衛賞をとってしまった。志賀理江子の『Lilly』だ。この写真は本屋に置かれ始めた時から気になっていたが、まさかいきなり賞をとるとは思わなかった。が、才能としては図抜けている。デジタル写真の可能性にようやくポジティヴな評価を与えることが出来る、と思わせるような鮮烈な才能だ。

もはや時流の新しい・古いといった場当たり的な価値を超え、あらゆる要素を異種配合していくことにしかクリエイティブというものは宿らない、ということを実感させてくれる写真家だと思う。写真的な即興性をもったイメージをセレクトし、そのうえ様々なテクスチャーや光の素材を組み込み、編集し、加工する。という一連の作業に必然性が感じられ、ブレがない。新しい技術を興味本位で取り入れる。という地点から最も遠い場所で写真が創られている。デジタル写真が新しいフェーズの中にあることを実感させる。友人が言っていたが、「デジタルで汚す」という表現が最も近いように思える。

『Lily』は写真家がドイツに留学していた時代の作品を編集した本になっている。同じアパートに住む人々を写真に撮り、その後彼女の手による“不思議な”加工を施している。同じアパートに住むいわゆる普通の人々の指先から金色の光が宿ったり、体の中にブラックホールが生まれたり、宇宙の中をフラフープしたり・・・と言葉にすると全く訳が分からない(笑)。が、その全く見たことがない、どのような形容詞をつければいいのか途方にくれるようなイメージがある。まだ写真には力があるんだ、と実感する。

新しさといのはどこからやってくるのか。あるいは、表現の強さというのは、自分たちのどこに存在するのか。この『Lilly』という作品はそんな問いを新鮮なものにする。クリエイティヴというものに真摯に人々を向き合わせる力がある。メディアや技術が、作り手のソウルや感性やモチベーションや思想と奇跡的なシンクロを成し遂げる。『Lily』はその最良のサンプルと言えるだろう。逆に言えば、我々のほとんどは、まだまだ技術やメディアの力に負けている(コジマ)。

2008年03月22日

ギャル曽根以前/ギャル曽根以降

僕は最近どうしても彼女のことについてばかり考えてしまう。ああ、かわいい。超かわいい。見ていて癒される。と、いつもTVで彼女が映っていると思ってしまう。それは誰かというとギャル曽根のことだ。ギャル曽根はいい。今一番来ている。だってあれだけバカスカ食いもん喰らってもかわいいんだぜ?これは奇跡だ。ギャル曽根は新しい女性タレントのモデルを体現している。彼女の出現でパラダイムシフトが起こった。そう、ギャル曽根以前とギャル曽根以降とで、完全に時代が変わってしまった。

彼女が起こしたイノベーションをここで見てみよう。まず、大食いなのに痩せている。で、若い。ギャルである。そして何よりも彼女がわんさか食べている時にカメラがよった時の表情。わざと顎を少し上に向かせ、目を閉じ、恍惚とした表情をカメラに向ける。これは彼女のテレビ用の独特のフォームと言っていい。モノを食べている時、いかにかわいく見せるか?そういった日々のトレーニングの形跡が見てとれる彼女のフォームは、見ていてこちらも思わず恍惚としてしまう。普通だったらたくさん食べるということは、外見的にも見苦しく、げんなりするものだが、決して急がないで自分のペースを保ちながら飛び切り美味しそうに食べる彼女の表情は、神々しくさえある。中山秀征のあのうそ臭さにまみれた表情とは雲泥の差。いわゆる「食い芸」で、彼女は芸能界の勢力地図を塗り替え、今、燦然と輝いている。あー、まぶし過ぎるぜ。

そんな「たくさん食う魅力的な女」というのは、もしかしたら普遍的な力を持つキャラクターなのかもしれない。かつて村上春樹は『世界の終わり/ハードボイルドワンダーランド』で、やたら食欲旺盛なセクシーな女の子を登場させていた(そしてこのキャラがオールドタイプだったのは、この女の人は若干太っていたのだ!村上春樹はギャル曽根の出現を予見出来なかった!)。ある意味すごく戦略的なキャラクターだ。

そして更に戦略的な実写版のキャラクターが登場した。それはテレ朝の深夜に放送されていた『未来講師めぐる』というドラマだ。主演は深田恭子で、彼女がベーグルとかドーナツとかホットドッグとか食べて、あ~お腹いっぱい、となるととたんに目の前の人物の20年後が見えてしまう。満腹になると彼女の中にある超能力が発動する、という設定。これは明らかにギャル曽根以降な、たくさん食べる普通の体型の女の子が魅力的で、なおかつ超能力者である、というラーメン屋で例えればラーメン単体で馬鹿旨いのに更に超高級食材のトッピングを「全部乗せ」にした感じだ。そういった意味ではこのドラマの脚本を書いた宮藤官九郎はやはり勘がいい。

で、その『未来講師めぐる』は先週終わってしまった(笑)。DVDがこれから出るので、まだ見ていない人はこのドラマの先進性(笑)を見るチャンスがある(コジマ)。