
辻静雄の著作『辻静雄コレクション』を読んでいる。今の辻料理師専門学校の創設者であり、日本におけるフランス料理の最大の伝道者、とも言える偉人。もともとは浅草の菓子職人の息子で、新聞記者を経て料理の世界に入った変わり種の人で、そこから何かに取り憑かれたようにフランス料理の研究にのめりこんでいく。『辻静雄コレクション』は彼のこのフランス料理への情熱、探求心が詰まっていて、本当に素晴らしい。
料理の世界というのは、十代の半ばから厨房に入り、修業をスタートさせる、というのが常識と言えるが、辻静雄の場合はそれに比べると遅い、二十代であり、当時は風当たりもきつかったと言う。しかしながら、彼は自分自身のビジョン、批評性、情熱などをもってして、これを乗り越える。特に生粋の料理人というよりはジャーナリスト的体質を経た、料理の技術、というよりは「舌の記憶」が彼の武器だった。料理の味、作り方、コンセプト、思想、歴史、というものを掘り起こし、書き上げることによってある種の「料理における思考のフレーム」というものを築き上げた人だと思う。
戦後の日本にはフレンチ、イタリアンといったヨーロッパの料理に対しては、かなり大雑把な「洋食」というフィルターが存在して、いわゆる「本物」ではなかった。それは例えば、「歌謡曲・邦楽」というフィルターと常に闘っていた日本のミュージシャンにとっても共通する姿勢だった、と言えるかもしれない。音楽シーンにおいては日本は90年代、渋谷系音楽を中心とする「歌謡曲・邦楽」の解体こそが表現に向かう大きなモチベーションの一つだった、と思えるが、こういったモチベーションは、当時の日本の食文化にも当てはまった。日本の料理人、特にフレンチやイタリアンにおける彼らは、「洋食」をいかに越えるのか。というのが一番大きな命題だったと思う。
そして辻静雄さんの場合においても、戦後の日本における「洋食」というフィルターを越えるべく、フレンチという文化を日本にいかに正確に伝えることが一番のミッションだったと思う。ボキューズ、トロワグロ兄弟、アラン・シャペル、等の天才達を通し、フランス料理の構造をいかにうまく日本語に変換させることが可能か。特にフランス料理の歴史を理解するための文献を参照する努力はすさまじい。もともと新聞記者だけあり、文献をいくつも読み漁り、歴史主義的な考察で、非常にわかりやすくフランス文化を伝えている。そしてこういった辻世代の料理人がコート・ドールの斎須さんだったり、北島亭の北島さんだったり、ル・マノアール・ダスティンの五十嵐さんだったりする。彼らは日本がフレンチ未開の時代にフランスに渡り、本当に一からフレンチを勉強した世代でもある。彼らの料理は非洋食的な、フレンチであることのこだわりがある。いわゆる、ヨーロッパ文化にたいするコンプレックス、というか。あるいは、いかにヨーロッパを越えるか、という意識というか。彼らは、日本料理にはない、自然に存在しない味の追及(特に何時間も複数の素材を煮詰めてつくるソースに代表されるような)というものに、全力をあげて取り組んだ。
しかしながら彼ら以降の世代の料理人というのは変化していくんじゃないか、と感じる。かつては「洋食」に向けたアイデンティティーとしてのフレンチ、だった。が、今はフレンチを日本でつくるということはどういうことなのか、というアイデンティティーに完全にシフトしていると思う。ある評論家が「フレンチは前菜、メイン、というコースの、みんなでがやがや料理を取り分けられない超個人主義的な構造が、日本人に絶望的なまでに受け入れられない」というコメントが印象深い。ここで面白いなぁ、と思ったのが、二世代で料理屋を経営していて、その店のシェフがフレンチを修行しながら、親が経営していた洋食屋を引き継ぐ、というお店が最近増えているということだ。息子の世代というのはフレンチにも洋食にも何のコンプレックスもない、そういうフラットな世代で、例えば京橋にある「レストラン サカキ」もそうなのだが、昼は洋食が出て、ディナーはフレンチのコースを出す。あるいはメニューにコース料理とハヤシライスが混在するという、ハイブリッドな仕掛けになっている。こういうのは少し前の時代だったらナシだったんじゃないか、と思う。いわゆる「正統派フレンチ」というのが、料理人のプライドだった時代は。
とは言え、もはや時代は当たり前に「フュージョン・キュイジーヌ」だったりするわけで(批判も多く、実際自分も食べたいとは思わないけど)、こういった流れは僕らユーザにとって、悪くないことだと思う。フランス料理のおける時代感覚というのは、絶えずこれからも更新され続ける、に違いない(小島)。
最近のコメント