だいたいどんな人でもパラノイア(妄想症・偏執症)というものがあって、例えば今の僕にとってはそれがサッカーであったりする。延々とサッカーボールが頭の中でまわり続け、自分がボールを蹴り、あるいはかつてのスター選手がボールを蹴り、際限なくゴールシーンがリプレイされる、という天国/地獄(笑)というのが今の僕のパラノイアだ(笑)。そういったパラノイアをどう切り取るのが今の物語の在り方の一つであって、映画で言えばドキュメンタリー的に撮るとか、エッセイ的に撮るとか、演劇的に撮るとか、様々なアプローチがあると思う。
そんななかで、僕は物語としてのロードムーヴィというのがなんとなく苦手だ。ヴェンダースの『パリ、テキサス』は2回Vで観たけど、2回とも途中で気を失った(笑)。なので、今でもこの作品は自分にとって謎のままだ。『ベルリン・天使の詩』も途中で、というかオープニングでダメだった。彼の作品で唯一記憶としてかすかな充実としての感触が残っているのは、『都市とモードのビデオノート』で、劇場で観て感動したのは『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』という感じだ。要はドキュメンタリー的なアプローチの作品のほうが印象に残っている。
彼の作品の方法論で言えば(といっても彼のフィルモグラフィーのほんのわずかな作品しか観ていないのだけど)、ロードムーヴィ的な映画の撮り方というのは物語を延々と引き伸ばしていくアプローチで、ドキュメンタリー的な映画の撮り方というのはフィクションの構造をすり抜けていくアプローチで、両者ともに反対の方向を向いているが、モチベーションとしてはどちらも物語の構造をずらしていく、という点では一致している。ということをなんとなく考えながら、そういったわずかなヴェンダース予備知識で『ランド・オブ・プレンティ』を観た。「911」をテーマに、どういったアプローチを彼はとるのか、という視点で。
この作品はロードムーヴィでもドキュメンタリーでもない、どっちつかずな、非常にストレートな物語性を持った感動的な作品だと思う。トラウマがあり、因果があり、そういったものに向き合おうとする強い意識がある。常にカメラは上空にそびえ立つビルに向けられ、監視用カメラを通して世界がぼんやりと浮かび上がり、貧しき者、死者、その他全ての人々に対する、慈悲がある。「911」という事件に対する、誠実なビジョン、批評性というものが全面に展開され、このトラウマを乗り越えようとする真摯な姿勢が胸を打つ(後半のロードムーヴィ的展開はアメリカがイラクに侵攻していったプロセスがそのまま、忠実に反映されている)。
今やどんな映画においてもポストモダン的な、パラノイアな妄想の中に生きる人物が必ずといってもいいぐらいに登場してくる。『ランド・オブ・プレンティ』でのそれは元ベトナム帰還兵のアラブ人に対して向けられる敵意が完全にパラノイア的なものだが、同じく「911」をテーマにした『宇宙戦争』において、スピルバーグは「トライポッド」という、Tレックスとメカゴジラがリミックスされたような火星人の大量殺戮兵器を通して、このパラノイアの視覚化を徹底して行なっている。僕は『ランド・オブ・プレンティ』を観て、この作品についてとても感心するのと同時に、『宇宙戦争』が非常に偉大な作品だったことを改めて思った(笑)。ヴェンダースが「911」をテーマに、非常にクラシカルな物語性をもって作品を築き上げようとしたことに対し、スピルバーグは徹底したパラノイアの視覚化、そしてトラウマや因果を限りなく削ぎ落とし、トライポッドが暴れまくり、人々がゴミのように死にまくるシーンの強度に全てを賭けた。そしてその方法論は「911」を語るにあたり、見事に機能している。という点が凄い。 CGだらけのヴァーチャルな語り口を使っているが、受け手にとっては「911」というトラウマをかなり「リアル」な次元で追体験できるものになっている。
『宇宙戦争』は一見馬鹿にするのにはもってこいの作品だけど、スピルバーグの才能というのが「911」という大きなテーマとあいまって、この作品を図抜けたものにしている。『ランド・オブ・プレンティ』も素晴らしいけど、出来れば両者をセットで観ることがいいと思う。この2作品は現在物語をつくるうえでどのようなアプローチが求められているのかを、非常にクリアな形で把握できる優れた教材になると僕は思う。
という感じの映画観賞およびDVD観賞な正月でした。今年もどうかよろしくお願いします。そして明けましておめでとう(小島)。


