わかりやすさというものに誰もが飢えている。ぱっと目に入る、視覚のインパクトというのは実際大きくて、わかりやすい。そういった欲望というのはこれから更に大きくなっていくんだろう。もはや良いとか悪いとかではなく、利用することも抗うことも出来ない。そういった時代に僕らは生きている。その中でもう一度、目に見えることとはどういうことか。あるいは、イメージすることとはどういうことなのか。という問いは大きな意味が出てくるんじゃないだろうか。そして、そういったことを考えるプロセスとして、デザインというものがある。
石岡瑛子さんの『私デザイン』は、そういった自らイメージし、デザインするということとはどういったことなのかについて書かれてある。いや、そういった難しいことは抜きにして、ただただ面白い。一人の人間の情熱、苦闘、笑いと涙、といった感情と感覚をフル稼働した記録がこの本の中に詰まっている。
『私デザイン』は彼女が渡米した後のポートフォリオとなっていて、例えば、ポール・シュレイダー監督の日本未公開映画『MISHIMA』における金閣寺が真っ二つに割れる大胆なセット。マイルス・デイビスのアルバム『TUTU』のジャケットにおける、顔と手の表情にフォーカスを当てるデザインワーク。あるいは、フランシス・フォード・コッポラ監督の映画『ドラキュラ』における剥き出しの筋肉をイメージさせる甲冑。といった作品とともに、それぞれの仕事との出会いから終わりまでのプロセスが書かれている。
本を読んで感じたのは、やはり当たり前のことを当たり前に、丁寧に、そして粘り強くやり通すことがいかに重要であるかが書かれている。これは本当に難しいことで、プロジェクトの規模が大きくなるほどさらにハードルは高くなっていくものだ。けれども、そういった難しいハードルを思考と行動によって見事に乗り越え、作品を創り続けた日々はまさしくドラマそのものだと言っていい。優れた作品の裏側にあるプロセスというのは作品以上に劇的なものになっていく。特に大きなプロジェクトにおいては関わる人間も増えてくるので、制作チーム間では多くのぶつかり合いが生まれる。彼女はこれを“愛と憎悪(ラヴ・アンド・ヘイト)の関係”と称し、どの仕事でもこういったことは起こり、受け容れるべきものと書いている。
また、実際のデザインワークについては、まずディレクターのコンセプトに対して彼女の中の本能的なアクションがあり、それを検証するために思考が繰り返される。といったプロセスが書かれてある。彼女は次のように自身のデザインについて語っている。「大切なことは、創り手の内部に在る“血”をデザインし、“汗”をデザインし、“涙”をデザインすることではないだろうか。・・・EMPASY(感情移入)を私のデザインのキーワードとしている」。
本能的であり且つ肉体的なフィーリングこそが、表現の最大のエンジンとなる。と言うのはあまりにも簡単だが、今やモニターの中で考え、イメージし、マウスを動かすことが多くなった僕らにとっては、なかなか難しいことだ。というか、これはデザインの問題のみならず、あらゆるクリエイティヴの作業において、肉体を出発点とした表現というのは難しく、だからこそ非常に魅力的でもある。そういったことを意識し、考え、より感覚的で肉体的なアプローチとはどういったものなのか。そして単なるわかりやすさを超えた、創り手と受け手との共犯的コミュニケーションとはどういったものなか。『私デザイン』はそういった問いを反復し、具現化することに向けた最良の起爆剤となりえる本であると思う(小島)。

