セックスの最中に相手を死に至らしめてしまう「病」を主人公は抱えており、その「病」を自覚しているうえ、自分の妻を抱くことができない。という役を演じるヴィンセント・ギャロの表情は常に凍り付いていたように固く、無表情だ。自らの欲望を押し殺すことに疲弊した、うつろな視線。その視線が、この映画における一つのガイドとなって、人の欲望の果てのない部分へと、観る者を導く。という、クレール・ドゥニ監督作品の『ガーゴイル』を鑑賞。
液体、に対する恐怖。というのは感覚的、本能的なインパクトとして有効なものであり、僕らは静かに揺れ動く液体に対し、快楽と不安との両方を感じるものだ。バスルームで流れる透明な液体が赤く重い液体へ変わり、その赤く重い液体が再び、透明な液体としてバスルームのタイルへ流れ落ちる。というような反復が、この映画に存在する。この液体に関する反復は、間違いなく観る者にひどく神経質な不安をかき立てる効果をもっている。主人公は常に水を欲し、彼の妻はバスルームで水のなかに沈み、そして末期症状にあるもう一人の「患者」の女は、ドス黒い血の海のなかで途方に暮れている。
『パリ、18区、夜。』といった作品において、ドキュメンタリータッチのできうる限りの構造、物語性を排除することを試行した監督クレール・ドゥニが、「恐怖」という要素によって、再び作品の物語性に対する確固たるアプローチを獲得し、作品の質を向上させることに成功した、と感じるものだった(小島)。

