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狂人の最期

沸騰するフランス 暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き

売り言葉に買い言葉。その二つの言葉の投げあいは結局のところ暴力なしでは決着することはなく、言葉によって言葉を終わらせる、ということはありえない。ロラン・バルトの言葉を借りれば、「言語活動は言語活動を閉じるのには無力」である。言葉はお互いの狂気をクールダウンさせるどころか、ヒートアップさせる。馬鹿、アホ、間抜け、サディスト、天然、ロクデナシ、気違い、テロリストの息子!そう、こういった言葉を使った殴り合いは結局のところ、ホンモノの暴力を使わなければ止まらない。

それにしてもそれは唐突だった。いくつかの会話のやりとりの後、いきなり彼は相手の胸目掛けて頭突きを喰らわした。何故?????マテラッツィは彼になんと言ったのだろう。逆上し、我を忘れてしまうような、そういう聞くに堪えない言葉だったのだろうか。8年前の決勝戦でも彼はヘディングを決めたが、今回のヘディングはマテラッツィの胸に対してだった(苦笑)。どうせだったら、奴の額めがけてヘッドバッキングを決めてやり、奴の顔を血まみれにしてやればよかったのだ。この、シャツを引っ張ることしか能がない卑怯者めがっ!!!!!という感じで。

しかしながらその頭突きをかました張本人のジダンは、やはり狂気の人なのだ。パッサーというとかなりクリーンなイメージがあるが、彼らは常にギリギリの危険なパスコースを狙っており、それは常に相手DFにひっかかてしまうリスクを伴ったチャレンジでもある。音楽評論家の細川周平氏はかつての天才パッサーであるネッツァーを「危険それ自体が「救い」や転向の契機を内包していることを本能的に理解している」と評していたが、それはジダンにも当てはまる。彼は常にリスクとチャンスの表裏一体の境界線上でプレーをしていた、狂人なのだ。だからそこ、今回の常軌を逸した、あまりにもショッキングな事件のなかに、彼のプレーヤーとしてのキャラクターが多分に含まれていたとしても当然なんじゃないだろうか。特にトーナメントに入った後の彼のプレーというのは天才的なプレーの連続で、理性が吹っ飛んでいる状態での、かなりすれすれのテンションが持続していたんだと思う。彼はいつ壊れてもおかしくなかった。ましてや最後の試合、尋常ではない精神状態だったのでは。

こんな決勝戦での結末を迎えると、なおさらジダンの大会だったという印象が強い。特に今大会史上最強チームとされていたブラジルのあまりにも悲惨な惨状から、ジダンのファンタジーがさらに目立ってしまった。もしくは、プラティニがあるインタビューで今大会を「監督の大会」と評したという記事があったけど、まさしくその通りだったと思う。レベルが決して低いということではなく、選手の個性が前面に出ていたというよりも、緻密な戦術をもとにした非常に緊迫した戦いが多かった。そして決勝においてもやはりイタリアの戦術、特に守備における巧さが光っていた。「監督の大会」であるのならば、その大会の中心にいたのはやはりリッピなんじゃないかな。選手の配置、試合展開の読み、選手交代の妙。すべて当たった。チャンピオンズリーグでも勝ち、そしてW杯においても勝てる監督はそうそういない。彼を中心にして、色んな武器を持つ選手がフレキシブルに機能し、そして活躍した。それがイタリアが大会を制した最大の要因だと思う(小島)。

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