NYの書店で桐野夏生の翻訳本が大量に平積みになっていたのが印象に残っていて、文庫の新刊で出ていた「残虐記」を思わず手に取る。内容的には普段まず読まないものだけど…「残虐記」という谷崎小説と同じタイトルにもちょっと惹かれたので。
谷崎つながりのタイトルが示すように、支配と服従をめぐる三角関係物語という側面を持つこの小説。圧倒的な構成力に感服。モデル小説云々の議論について、私は語る言葉を持たないけれど、谷崎的なテーマを持ち込むつもりだったら、もちろんモデル小説でない方が上品だ。そこを圧倒的な泥臭さで掘り起こすのが桐野夏生なんだろう。
人の欲望もそもそもはピュアなものだが、それは育つにつれ、時にグロテスクに変形していく。そのさまを熟した果物のように描くのが谷崎だとしたら、ピンで貫かれた昆虫標本のように描くのが桐野なのかも。
どっちが上だと言う気はないけれど、暦の上ではもう秋だし、私は熟々メランコリーの方が…というわけで谷崎再読。「残虐記」は家になかったのでその前に書かれた作品である「鍵」を読み返す。この話もいってみれば支配と服従をめぐる三角関係物語なのだけれど、基本的に家族内でぐるぐるやっていることなので「勝手にしろ」って感じで笑える。
この話の主人公(の一人)であるところの奥さんは、自分の欲望を満足させるために夫と不倫相手の間をぐるぐるするのだけれど、最後の最後で伏兵だった自分の娘に利用されていたことが示される。その真相の描き方が、どうも異常にあっさりしている。
まあ奥さんにとっては己の欲望を追及している時だけが本筋で、誰かに利用されてたとか、あの言葉は嘘だったの? とか、そんなことはどうでも良かったりするのかもしれないけれど。私としては、行き過ぎた欲望が周囲に利用され、踏みにじられる瞬間の苦々しさとか気まずさの方が気になってしまう。自分のそういうところが、我ながらへいぼん…。 (蜂)

