美と人生を提供すること

ハーモニー・コリンの『ミスター・ロンリー』の試写会に当たり、心して試写場へ行き、心して映画を観た。何しろ、8年ぶりの監督作品。正直恐いもの見たさもあった。ましてやプロモーションが「パリでマイケル・ジャクソンとマリリン・モンローが恋に落ちる」という、破天荒すぎる宣伝文句。全くどんな物語なのか予測がつかない。そんなちょっと困惑気味の気持ちで僕はソファに座った。そして予想通りのマイケルとマリリンのモノマネ芸人が登場し、軽い笑いのジャブが入るが、2人がパリを経ち、スコットランドの館へど移動すると、たちまちにこの作品のモードはシリアスなものへと変わる。
かつての『ガンモ』や『ジュリアン』のような散文詩的な感触と、古典的とも言えるような物語に対するアプローチの二つが、この作品では見事に融合されている。これが僕の第一印象だった。いままでのハーモニー・コリン作品のような、イメージの速度でズタズタに意味を切り裂きまくった後の呆けた後味は、微塵も残っていない。この作品の中にあるのはより緻密で、最後まで緊張感は保たれたまま壊れそうで壊れない、明晰な美意識だ。そこがこの作品の素晴らしさだと思う。ハーモニー・コリンは初めて普遍的な古典へと向ったと言えよう。
相変わらず雨のシーンはいいし、青い服を着たシスター達もとにかく幻想的。淡く優しいスカイブルーの中を、自転車に乗ったシスターが舞い、森の木々から光が差し込む、そしてスカートがめくれるマリリン・モンローの恍惚とした表情。間違いなくポエトリーな瞬間に僕らは何度も触れることが出来る。しかし、これらの美しいイメージの数々はかつての作品の中での「置かれ方」が明らかに違っている。
幼児体質な、前衛性やサンプリング、オマージュ、ドグマといった手法を乗り越え、どのような感情のフォルムを描き、デザインするのか、という意識に彼は覚醒している。ポエトリーなイメージをどのようにして掴むのか、という類まれなるセンスはそのままに、作品全体のインパクトの強さは増している。これは「後退」ではない。立派な「前進」だ。彼はちゃんと虚偽と真実に切り裂かれて、抑圧と開放を見つめている。さようなら、90年代。ハーモニー・コリンは見事に思春期を卒業し、また違う人生のフェーズへと歩み始めた(小島)。




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