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イメージの辺境に触れる

誰にしろ鞄にカメラを突っ込む時、それなりの目的や理由がプロ・アマ問わずに頭の片隅にはあるものだ。ある特定の光景が目の前に現れたら、時間を止め、半永久的に残したいと思わずにいられないもの。たぶんその気持ちの強さの度合いが、写真を作品たらしめるものなのだろう。そんな写真を撮るという行為は、とても私的で、密やかな冒険じみたプロジェクトでもあり、彼らが生きていくうえで必要なことなのだ。

僕はこのような写真的なプロジェクトは大好きだ(そしてこういった要素は写真のみならず、小説やルポルタージュといった表現の中にもある)。たぶん写真だと他人の気分や感覚がダイレクトに伝わるからだろう。とても生々しく、彼らの企み、冒険、眼差しの先にあるものに触れることが出来る。なるほど、そうやって彼らは自分のプロジェクトを立ち上げ、旅に向ったのか、と。写真を見ることは、“彼らなりの生”をつくりあげていく技術を学ぶことでもある。

なんていうことを、(もうとっくの昔に終わってしまったけど)ピーター・サザーランドの個展『DIRTLAND』を見に行ったときに感じた。めちゃくちゃな傑作、というわけではなかったが、そこには企みがあり、男子的ノリのプロジェクト感があり、そして冒険そのものだった。この個展のパンフレットから一部抜粋してみる。

「ある日、僕は、ナタンから「秘密の情報」を聞いた。それは、街の外れにある洞窟に住む、モスという男のことだった…(中略)僕は、ナタンに僕の写真のポートフォリオを見せ、「森に篭って生活する人」を被写体に、写真を撮りたいのだと伝えた」

「森に篭って生活する人」(笑)。案の定、そのモスっていうヤツは危ないパラノイア気味の男だった。そしてそれ以外にも鹿の死体に体を擦りつけまくった犬と遭遇したり、不法キャンプをしている人や、ホテルから食料をかっさらっているキャプ・マニアに遭遇しては、彼はマウンテンバイクで軽快に森の中を走りながら、そんな不思議な連中を撮り続けた。

しかしながら、ピーター・サザーランドの作品には不思議といわゆるビョーキな感じは微塵もなく、クールで、爽やかでさえある(いくらドギついオヤジが写っていても)。あくまでもカメラを手にした男子のドキドキ感が伝わってくる。彼の写真にはノリがあるのだ。スケートボーダーのような、軽やかなフィジカルが写真の中にある。そんなものが見ているとヒシヒシと伝わってきて、僕自身の体も自然と軽くなった。イメージの冒険、新鮮さ、不意を撃つようにやってくるもの。ピーター・サザーランドの写真に触れると、そういった秘密について、少しだけ敏感になれるような気がする(コジマ)。

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