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デジタルで汚す

いつのまにか4月になってしまった。先々月はプレゼントで写真集をもらい、ちょうどそれが木村伊兵衛賞をとってしまった。志賀理江子の『Lilly』だ。この写真は本屋に置かれ始めた時から気になっていたが、まさかいきなり賞をとるとは思わなかった。が、才能としては図抜けている。デジタル写真の可能性にようやくポジティヴな評価を与えることが出来る、と思わせるような鮮烈な才能だ。

もはや時流の新しい・古いといった場当たり的な価値を超え、あらゆる要素を異種配合していくことにしかクリエイティブというものは宿らない、ということを実感させてくれる写真家だと思う。写真的な即興性をもったイメージをセレクトし、そのうえ様々なテクスチャーや光の素材を組み込み、編集し、加工する。という一連の作業に必然性が感じられ、ブレがない。新しい技術を興味本位で取り入れる。という地点から最も遠い場所で写真が創られている。デジタル写真が新しいフェーズの中にあることを実感させる。友人が言っていたが、「デジタルで汚す」という表現が最も近いように思える。

『Lily』は写真家がドイツに留学していた時代の作品を編集した本になっている。同じアパートに住む人々を写真に撮り、その後彼女の手による“不思議な”加工を施している。同じアパートに住むいわゆる普通の人々の指先から金色の光が宿ったり、体の中にブラックホールが生まれたり、宇宙の中をフラフープしたり・・・と言葉にすると全く訳が分からない(笑)。が、その全く見たことがない、どのような形容詞をつければいいのか途方にくれるようなイメージがある。まだ写真には力があるんだ、と実感する。

新しさといのはどこからやってくるのか。あるいは、表現の強さというのは、自分たちのどこに存在するのか。この『Lilly』という作品はそんな問いを新鮮なものにする。クリエイティヴというものに真摯に人々を向き合わせる力がある。メディアや技術が、作り手のソウルや感性やモチベーションや思想と奇跡的なシンクロを成し遂げる。『Lily』はその最良のサンプルと言えるだろう。逆に言えば、我々のほとんどは、まだまだ技術やメディアの力に負けている(コジマ)。

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