
わたしたちに許された特別な時間の終わり
岡田利規
「イラク空爆のさなか、渋谷のラブホで4泊5日」。大江健三郎賞の受賞作であることを示す黄緑色のオビに、書いてある。
初対面の、わりにどうでもよさげな相手とのラブホ暮らしが異国の旅みたいになるとしたら、そこには死の影が、スパイスのようにふりかけられているはずだ。
旅をしている時は、路地の薄汚れたポスターが、妙に愛おしく感じられたりする。それは、二度とそこに来て同じポスターを見ることがないことを、知っているからだ。
彼らが悪趣味な渋谷のラブホを特別な場所のように思うのは、彼らの関係が「いつまでも系」に属してないことにプラスして、我々の住むこの世界もまた、「いつまでも系」に属してないことに気づいてしまったからだ。
自分を振り返って、2003年は既に仕事をしてはいたけど、まだまだモラトリアム気分でフラフラしていた。この小説に描かれる、ゴムみたいに引き伸ばされた若者時間が、当時の出来事にシンクロする感覚は、同時代人として充分に刺さる。
テロや戦争が、アメリカというハリウッド映画的イメージを揺るがした最初は、7年前の9・11。そのころモラトリアム時代を過ごしていた人間の多くが、今では社会人になっている。
そんな「私たち」はまず、この本の黄緑色のオビを見、「イラク空爆のさなか、渋谷のラブホで4泊5日? もう、そんなユルイ時間の使い方、絶対無理」と思って、クラッとする。しかし、そんな「私たち」の時間だって、当然だが「いつまでも系」ではあり得ない。
「私たちに許された特別な時間の終わり」。次のそれは、どんなふうに訪れるのだろう?(蜂)
